森永卓郎さんの訃報と、ラジオ
2025年02月05日
森永卓郎さんの訃報と、ラジオが持つ特別な距離感
森永卓郎さんが亡くなりました。
私は毎朝ラジオを聴いていて、ここ最近はいつも「モリタク」さんの声を聞いていました。彼の独特な語り口、鋭い洞察、そして時折見せるユーモア。それらすべてが朝のルーティンの一部となっていました。政治や経済について語る森永さんのような経済アナリストの方々の言葉に耳を傾けることで、私は少しずつ視野を広げてきました。
毎日聴いていた方がいなくなるということは、まるで生活の一部がぽっかりと空いたような感覚です。これまで当たり前のように存在していた声が消えることで、何かが足りなくなる——そんな喪失感に包まれています。
私の情報源はラジオだった
ラジオは、私にとって特別な存在です。実家は小さな工場を営んでおり、幼い頃から作業場には常にラジオの音が流れていました。親の仕事を手伝いながら耳を傾けていたニュース、音楽、トーク番組。その時間が、知らず知らずのうちに私の情報源となっていました。
昨今、情報の多くはネットから得られるようになりました。スマートフォン一つあれば、欲しい情報はすぐに手に入る時代です。しかし、ラジオにはネットとは違う魅力があります。
ラジオの「距離感」がもたらすもの
ラジオの魅力は、パーソナリティと有識者、そしてリスナーの距離感にあります。目の前の画面ではなく、声だけが届くメディアだからこそ、その距離は絶妙です。パーソナリティがリスナーに話しかけるように語り、リスナーはそれに耳を傾ける。時にはゲストとズバッと本音で語り合い、時にはリスナーの声が直接番組に届く。
この、決して近すぎず、遠すぎない関係性がラジオの最大の魅力ではないでしょうか。SNSや動画配信が発展しても、この距離感を持つメディアは他にありません。
ラジオ、聴いてみませんか?
森永卓郎さんの言葉を毎朝聴いていたように、ラジオには日々の生活に寄り添う力があります。テレビやネットのように主張の強いメディアとは違い、ふとしたときに流れてくる声が心に染みることもあります。
どこかで耳にした話が、自分の考えを変えたり、新しい視点を与えてくれたりする。ラジオには、そんな不思議な力があるのです。
森永卓郎さんの訃報に触れ、私は改めてラジオの存在の大きさを感じました。もし、しばらくラジオから離れていた人がいたら、ぜひ久しぶりに聴いてみてほしい。朝のニュース、昼のトーク番組、夜の音楽番組——きっと、どこかであなたに寄り添う「声」が見つかるはずです。
何を言いたいのか、うまく言葉にできないけれど。ただ、私はこれからもラジオを聴き続ける。そんな気持ちを、今ここに綴ってみました。